1 事件と言うものは毎日起きている。私たちはただそれを知らないだけだ
「きゃああ! 引ったくり!」
ミアレシティの一画、16番道路へ続くゲート前で、絹を裂くような悲鳴が響く。
道路にひざをついたやや年配の女性、その視線の先には、彼女の鞄を奪った、いかにも不良じみた雰囲気の黒い革ジャンパーを着た男が、ゲート目指して逃走していた。
周囲にいた人々はざわついているが、巻き込まれることを恐れてか、誰も事態の改善に動き出さない。
「お願いします! 誰か……」
女性が声を振り絞った、そのとき。
引ったくり犯の目前に、影のように音もなく、すっと立ちふさがった者がいる。
「チッ……どけぇーっ!」
引ったくり犯は舌打ちして怒号を浴びせた。
その人影は――黒いスーツを着こなした若い少年だった――、頭に被っていたシルクハットをさっと取って中空に投げ上げる。
日の光にさらされた淡い金髪がきらりと光った。
引ったくり犯はその様子が頭に来たらしく、少年めがけてこぶしを握り突っ込んでいく。
スーツの少年は慌てず騒がず、ただ流れるような所作で、手に持っていたステッキ(ペラップの頭を模した握りがついている)を鋭く引ったくり犯の脛に打ちつけた。バシッという乾いた音と同時にくずおれる引ったくり犯。
あまりの痛みに悶絶しているが、何が起きたのかわかっていない様子で、ぽかんと目を見開いている。
その隙に、スーツの少年は落ちてきたシルクハットを頭で受け止め、盗まれた鞄を拾い上げて、女性に返していた。
実に鮮やかな手腕に、観ていた通行人から拍手が上がる。
「ち……チクショウ!」
事の次第を飲み込んだ引ったくり犯はよろよろと起き上がり、モンスターボールを取り出した。
「行けっ、グラエナ! あいつをのしてやれ!」
叫ぶなり、ボールからグラエナを繰り出す。
グラエナは低く唸って少年に飛びかかった。鋭い犬歯がぎらりと剥き出され、見守る通行人から悲鳴が上がる。
誰もが、少年の危機に身を竦めた時。
ボフン、と間の抜けた音がした。
観れば、グラエナは白くもこもこした何か――毛の塊のようなもの――に埋まって、身動きが取れないでいる。グラエナは戸惑った様子でもがき、くぅうんと情けない声を上げた。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
引ったくり犯は頭を抱える。
スーツの少年は落ち着き払った態度で、己のモンスターボールを収納場所(シルクハットの中)に戻していた。
「コットンガード、だよ」
にこりと微笑んで、そう言う。
グラエナがなんとか毛の塊から体を引き抜いた。と、その白いものがくるりと向きを変える。もこもこと盛り上がった毛の隙間から見えているのはトリミアンの顔だった。
少年のトリミアンは一声高く吠えると、渾身の力を込めてグラエナに体当たりを食らわせた。まともに攻撃を受けたグラエナはよろけ、がくりと倒れる。
「な、なにィ!? ただの一撃で……!」
ひったくり犯は青ざめた。自分もグラエナと同じように、よろよろとへたり込む。
そこへ、誰かが通報したらしく、駆けつけてきた警察がひったくり犯を確保した。
「ミアレ警察にご協力、感謝します。ヴィスカム君」
警察官が少年に声をかける。ヴィスカムと呼ばれた少年は爽やかに笑んだ。
「いえ、僕は当然のことをしたまでですよ」
事の次第を見守っていた通行人の女性陣から、感嘆のため息が漏れる。それくらいヴィスカムは絵にかいたような品行方正さだった。
ひったくり犯を連行しにかかっていた警察官たちのうちの一人が、ヴィスカムの方を見てギリィッと歯ぎしりした。
「またアイツかよ……!」
警察の制服を着ているが、まだ若い少年である。褐色の肌に、炎のような朱色の短い髪が印象的で、表情には新米らしい初々しさが見て取れた。
「ははは、ブレ。悔しかったら自分も活躍するんだな。ほら、今ミアレを騒がせている怪盗を捕まえてみせるとかな」
「まぁ、我々警察は、仕事がない方が世の中平和ということだがな。あまりかっかするな、ブレ」
先輩警察官たちからの発破とたしなめに、ブレと呼ばれた少年警察官は悔しそうにヴィスカムから目を逸らした。
少々騒然とはしたが、事件が解決して現場の熱は急速に冷めていく。
「ありがとう、ミアン」
ヴィスカムは笑顔でトリミアンのニックネームを呼び、労った。ミアンはぶるぶると体を震わせる。どうやらコットンガードで伸びた体毛が気になるらしい。
「よし、じゃあサロンに行こうか。そろそろカットしなきゃいけない時期だったから、ちょうどいいね」
ミアンは「わふ」と、♀らしく品よく小さな返事をする。
いつも通りではないようで、やはりいつも通り。そんなミアレシティの午後だった。
異種族間の交流・絆に惹かれます。
